みっちゃん、たえちゃん。
この度は突然な宿泊にも関わらず、初対面の緊張感も解してくださり、ありがとうございました。
あのなんともえいない、柔らかな空気。
緩やかな、時間の流れ方。
この時期にTシャツでいられて、素足で歩くことの心地良さ。
時間が止まったように感じる、海の中。
100%、薪で焚く温泉。
充電という言葉は拙いかもしれないけど、
そういう緩やかな時間を纏い、自分らしさをたっぷりチャージできたような気がします。
深呼吸が、とても心地よかった。。
ビールを飲んで、木のハゼる音を聞きながらだと、
普段あまり言葉にしなかった想いもツラツラ出てくること(笑)。
あぁ、やっぱりオイラはこういう事がしたかったんだと自分が理解できましたよ。
やはり、日本という国は大きな役割をもっていて、
けして誰かが一人でやることでもなく、けしてメシアが現れることでもなく、
どこかで起きた行動が少しづつ広がっていき、言語や肌の色や年齢が違えど、
思い遣りと尊重しあえる事が共有できる時代が必ずくると信じています。
その時が自分が生きていられるか、息子の時か、孫の時か。。
そういう時にこそ、その世代に佳いモノを残しておいてあげたいですね。
そのためには、木を育て、火を焚き、土に触れ、技術を養い、水の循環を守る。
みたいな。。
万人が自然の中で生活空間を共有していくことのスキルを養うひとつに、
“農”があると思います。
神道の勉強をしていた時に、宮司の理想の生活スタイルは“半農半神”だと知りました。
農業で生計を立て、氏神様をはじめとするその土地の神様にお仕えする。
もともと、神道は太陽信仰を原点にもつ自然信仰で、いわゆる宗教ではありません。
また、信仰とはどこかの霊験あらたかな寺社仏閣等で拝むことではなく、
感謝の言葉と共に、自分自身(自分自神)の内に在る神仏の存在を自覚することと、
自分自身の命の存在が、ご先祖様のお陰をはじめとして、
今ここに在るということの有り難さを理解することです。
先人は四季の移ろい(自然の働き)に畏怖の念を置き、その働きを神とし、
我々は感謝のお祭りを後世まで受け継いできました。
そういうことを学ぶにも、佳い土に触れる農をして、
佳い野菜を食べることが大切に思います。
今日、帰宅してさっそく、
手配しておいた自然栽培の野菜(ホウレン草、ゴボウ、カブ)をシンプルに食べましたが、
一足先に食べていた嫁さんのコメントで、
「こんな野菜食べてたらあまりお肉とかいらないね」って感想がとても腑に落ちました。
けして、畜産を必要としないと言っているのではなく、
それだけ生命力のある野菜はあれこれ多食をする必要がないということです。
いや、ほんと甘かった。。
でも、あまりオイラの口に入ることはなく、息子の離乳食が優先です(笑)。
そのうち、「いただきます」と、「ごちそうさま」も教えなくては。。
長々と申し訳ありませんが、高知は個人的に注目している県ですので、
しっかり仕事を作っていき、ひょっと海癒に寄れるくらいにしたいです。
まずはこの二日間、ありがとうございました。
このご縁に、心から感謝。
合掌
かん吉 拝